張り子の虎の生存報告

このブログは、私、本名イニシャル「O.Y.」の、血のつながりのある人や、親しいがなかなか会えない友人、昔とてもお世話になった方など、極限られた人(トータル10人くらい?)向けへの生存報告です。特に、海外に行くときなどは、必ず更新していこうと思います。(私は公式のSNSなどでは、自分が何処にいるかはなるべくボカしたいということなどもあり…)  このブログが長期間更新されないような時は。。。察していただけると幸いです。合掌。

離島にまだまだ居ます。

現在地:某離島(一応、東京都)

 

前回記事で、今いる離島に5月までいそうと書きましたが、現時点では、8月くらいまでいようかと考えてます。

いつまでもいる気はない。その後は、久々の海外へ行きたい。

その8月までに、離島でやれることを、いろいろと考えてます。
前に書いた、舞踊家の先生とも、何か組んでやれたら~とも思っていますし、それ以外のことも。

島では、何より、人脈がすぐつながることが、(たぶん)いいことで、既に意図せずして、期待もしていなかったような人との繋がりが芽生えています。果たしてそれをどう活かせるものか。

後、感じることは、自分自身の変化。何かをしていくということは、また、自分が変わっていくことを知っていくことだなぁと。

引き続き、生きていきます。

離島にしばらく居ます。

現在地:某離島(一応、東京都)

 

今、離島で暮らしてます。去年末からだから、一か月とちょっと経ちました。

離島は、思ったより僻地で驚いてます。Σ( ̄ロ ̄)

コロナ中、実家の高知県にいた時期があるのですが、その時にあちこち、地元でも過疎化が進んでいるようなところに行ったのですが、今の時代、相当山奥でもコンビニがあり、高速道路のインターも遠くなかったり、それほど辺鄙な感じもしなかったんですが、離島の方がコンビニもなく、風の強い日は船も欠航することも珍しくない。

隔絶感、田舎感は、山奥より離島の方が上だな、と思い、そしてだからこそ、今の私的には気に入っているところでもあります。( ̄ー ̄)ニヤリ

 

で、当初は二か月くらいいようかと思っていましたが、延長して、今のとこ、5月までいるつもりでいます。もしかしたらもっと延ばすかも。

離島の何もなさが意外に心地よいということもありますが、前回の記事でも書いた、昔お世話になった舞踊家の方とお会いすることができたことも影響しています。

その方、15年ほど前に60代半ばで何のツテもなく大島に移り住んで、肉体労働しながら舞踊活動も続けて、現在80歳。

若い頃海外で舞踊活動を行っていた時期は年金を払ってなかったこともあって、80歳でも年金暮らしはできず、既に肩や股関節を痛めている状態で、ごみ回収の仕事をしながらも、東京にもしょっちゅう渡って舞踊活動も継続されているとのこと。

お住まいに伺ったのですが、ほとんど廃墟みたいなとこで、ただ、前の庭は広いから、そこで青空ダンスイベントを行っているそうで、次は5月末に本格的な公演をするそうです。

その5月の公演を見届けるまではこの島に居ようと思った次第。

それにしても、その方の生き様、参考になることもあるかと期待していたのですが、とても真似できるものではない。
結構、ショックを受けるくらい壮絶なものでした。

ここにいる間は、機会を作ってその方と会って、話もしたいし活動にも協力したいと思っています。

とても真似はできなくとも、こんな人がいるということは、とても勇気づけられることだと感じ入ってます。
自分も、70歳まではダンスで戦いたい、その大先輩として、少しでも何か学びたいと思っています。

離島に行きます。(`・ω・´)

現在地:つくば

 

突然ですが、年末から某、離島(一応東京都)に行きます。

二か月くらいそこで暮らす予定です。

東京本土に借りていたアパートはいったん引き払います。

もともと、つくばのアパートは寝泊りもできる倉庫として借りッパにしてるので、引っ越しというわけではないですが、それでもやはり、アパート引き払うの大変でバタバタしてます。

で、
諸事情で年末年始もかなり忙しくなりそうなので、もし年始にブログを見てくれる人がいたら、と、早めにこのブログ更新しておく次第です。

東京のアパートを引き払うのは実のところ不本意で、いろいろと、ままならないことがあった結果なのですが、詳しくは省きます。
ただ、短かったけど東京でやりたかったことは、ある程度できた、特に、こだわりの武道の流派に入って修行でき、一区切りつけられるくらいのものは習得できたことは、良かったと思います。

その離島には、昔ダンス関係でお世話になった方が住んでおり、その方はもう80歳ですがまだまだ元気に本土と往復しながらダンス活動を続けている!ので、会えるかととても楽しみです。見習いたい!

そして、いろいろと相談したい。

 

ポジティブなこともネガティブなことも織り交ざった人生で、命を燃やしていきたいです。

では皆様、よい年末と新年を!

花屋みたいなとこでバイトしています、た。

現在地:東京都

 

また二か月くらい空きました。まぁ、生存報告なので。

前回の記事で書いた、最近ガンで逝かれた50代女性の知人。

まだ20代前半の娘さんがいて、私は実は、その娘さんがまだ15歳!の頃に、娘さんの方と先に知り合った経緯があります。

娘さんは音楽をやっていて、私はダンスをやっていて、娘さんがツイッターで私のことを見て、コラボを申し込んできて、で、お母様といっしょに会って話したり、とか、ありました。

詳しくは省きますが、そのコラボは結局実現せず、それでも縁があったということで、私は彼女の活動を応援してライブを観に行ったりしていたのですが、実はその娘さんのほうがお母様より先に大病(おそらくは脳腫瘍)で活動できない状態になっていました。

私は気の毒に思って、連絡を取り続けていました。そして、2年くらい前か、彼女の20歳の誕生日に、花束を送ってあげたいと思い、丁度東京に出る機会があったので、昔つとめた花屋みたいなとこで、安く売ってもらえないかと連絡を取り、実際、花を安く売ってもらってドデカい花束を送ってあげることができたのです。

で、

その、花を買いに行った際に、その花屋的なとこの会社のエラい人たちが出迎えてくれて、

「もう一度働いてみないか」みたいに言ってくれたのです。

その頃は、認知症の父親の面倒を見るために高知で暮らしていたので、丁重にお断りしたのですが、ただ、もう一度花関係で働いてみたい気持ちはあって、父のお世話に区切りがついて関東に戻ってきて、今一度東京に住もうと決めた際、その会社に連絡を取り、実は今年2月から、バイトで勤めていました。

過去形なのは、もう、今月いっぱいで辞めるから。

なぜ辞めるかは、また後日の記事で書きますが、ここで書いときたのは、いろんな縁で、もう一度、花関係で勤められて良かったということ。

そして、そのバイトの一回目は実はもう15年前くらいに勤めていたのですが、その頃と比較して、会社組織も、世の中全体も、そして自分自身も相当に変化があり、今、その変化をしっかり感じられて良かったということ。

正直、15年前より体力の衰えをはっきり感じて辛いとも思いますが、同時に、15年前にはわからなかった、自分の状態を知る能力というか、そういうのは向上している確信があり、歳をとるのも悪いことばかりではないと思ってます。

 

で、実はこの記事を投稿した後、そのバイトに行きます。(ほぼ夜勤)

 

また後日記事を書きますが、今後、ちょっとまた大きく、仕事とかの方向性が変わりそうです。

振り返って、その花屋的バイトについて書いておきたくなりました。

ではまた近いうちに。

あとほんの数回、バイト行ってきます!(`・ω・´)ゞ

「命友(めいゆう)」。。。やや重い文脈ですが。

記事書くの三か月ぶり、くらいですか、自分は50歳になりました。

で、さて、

先日、知人がガンで逝きました。

まだ50代半ばの女性で、旦那さんと20代の娘さんと息子さんがいました。

肺ガンがわかってから、あっという間でした。

本当に、あまりにも、あっという間でした。

本人、タバコは吸ってたかどうかわかりませんが、決してそこまで不健康な生活をしていたはずはなく、真っ当で幸せなご家庭の、肝っ玉母さん的な印象でした。

・・・この人のことをきちんと書くと、長くなるし、そして、いろいろ重いので、ここまでとして。

相当ショックでした。近所の神社に回復祈願していたのですが、神様に不信感抱きそうな感じで、しばらく神社にお参りしてない。

実のところ、数年前に、同じく50代の女性の知人が、やはりガンで亡くなられました。

その時も、もちろん、ショックでした。

全く全然、皆が皆、平均寿命まで生きれるはずなく。高校時代の同窓生も、もう、知っているだけで10人近く亡くなっています。情報が入ってこないだけで、実際はもっと多いでしょう。

このブログのタイトルは「~生存報告」となってますが、本当に、冗談でなく、これが一年とか途切れたら、もう私の最期となってるかもしれません。

もちろん、死は致し方ないことですが、

ただ、どうしても、頭をよぎる、既に50年生きてきて、この先、なんのために、誰のために生きるのか。

「なんのため」は置いといて、独身かつ、元母含め、家族全員とほぼ縁が切れたっぽい自分は、ふと、「自分も50代で旅立つならそれでもいいか」とも思えてしまう。

コロナ禍の中で、著名人の自殺が何度もニュースになりましたが、お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんが、奥さんをおいて旅立ってしまったことについて、「家族は抑止力にならないのだろうか」と、疑問に思ったりもしました。

奥さん子供いる親しい友人にそのことを話すと、「家族は距離が近すぎるんですよ、自分も、家族に迷惑をかけたくない、とか思っちゃって死を選んじゃう気持ちはわかる気がします」

と。

だから、その友人的には、俺との友人関係が、命の絆になってるというようなことを言ってくれて、「じゃあ、俺も君のために生きるよ」みたいなことを言ったら、友人は、「思い付きの言葉ですが、命友(めいゆう)ですね」と。

命をつなぐ友人関係。うむ。

冗談抜きで、高齢化社会孤独死が多くなっている現代に合った、新たな概念となりうるかもしれない。

俺は、まだまだ、生きたい。しっかり、燃え尽きるために。

そのためにも、友人を、命友を大事にして、感謝していかねば。

やや重いですが、これも生存報告、書いておこうと思いました。

友人に恵まれて・・・本当に感謝!

現在地:東京都

ですが、先日、GW明けに、実家の高知県~関西に行ってました。

文化庁助成金の関係で、どうしても、高知まで行かないといけなかったり、人に話すと「なんで?」っと苦笑されますが、やむを得ない事情があったのです。(詳細は略、面白い話でもないので)

自分としても、めんどくさかったです。

が、「ついで」のつもりで、いろんな人と会ってきたのですが、それが意外に実り多かったというか。。。

高知県の田舎で民泊を運営している友人がいて、その方のところに三日くらい泊めていただいたのですが、連日めちゃくちゃ至れり尽くせりのもてなしをしてくれました。そして、私が母と絶縁していて、その元・母は認知症の父が入っている施設の長にも「息子には(父に)会わせないでくれ」と言っていることを話すと、

友人「当分、ご実家が凍結されてるなら、この家を第二の実家にしてくれていいですよ」と言ってくれました。

ツイッターアカウントじゃないんだぞ」と笑いましたが、本当にうれしかったです。

郷里との縁は儚かったと寂しい気持ちでしたが、それでも、高知県を嫌いにならずに済みそうです。

関西でも、親交を深めることができた人もあり、新たな出会いもあり、本当に有意義でした。意外に、関西人脈が増えているので、近い将来に関西移住も考えていいかな、と。

残りの人生の挑戦の仕方の、可能性の幅は広がってるかな、とも。

さらに嬉しかったのが、最近、これは今の東京で住んでるところのことですが、すぐ近くに、元同僚で、気の合う人が奥さん子供と住んでいるのですが、家に招いてくれたり、4歳くらいのお子さんと遊ばせてくれたり。お子さんも懐いてくれたり…

実のところ、母と絶縁した影響で、どうも二人の姉や甥っ子姪っ子とも、縁が切れそうな私としては、涙が出るくらい嬉しい友人たちです。

本当に、友人関係を、大事にしていきたい。

人間は独りでは生きていけない。しかし、孤独になることを恐れず世の中に立ち向かっていくしかない。

残りの人生、悔いなく、燃え尽きたい。

やはり、その一言になります。

人生最後の、東京暮らし、か?

(現在地:東京都心某所)

実は、二か月ほど前から、東京で暮らしてます。

人生最後の、東京生活、か?っと思っています。

 

ずっと記事を上げなかったのは、ほんとに東京暮らしできそうか、実は、こわかったから。

っというのは、ただなんとなく暮らしてるわけではなく、実は、諸事情で、自分の会社の業務以外にもお勤めを始めたり、あと、信念の武道を始めたりもしてて、それが続くかどうか、もう一つ自信がなかったから。

何より、実のところ、6年前くらいに、つくばに引っ越した時に、年齢のせいか「もう都会は疲れた…」という状態になってたので、また東京で暮らせるか、すぐ逃げたくなるのじゃないかと心配だったから。

 

二か月以上経って、結果は…なんとかなりそうかな?、という感じ。

で、二年間は東京にいて、武道修行とお勤め(お勤めもほぼ修行だと思ってる)とに一区切りつけたら、東京撤退~あとはまた、つくば&どっかの田舎を拠点にして、活動していけないか、と思ってます。

 

人生最後の東京暮らしになるか?
案外早めに撤退することになろうが、長続きすることになろうが、悔いのないようにしたい。