張り子の虎の生存報告

このブログは、私、本名イニシャル「O.Y.」の、血のつながりのある人や、親しいがなかなか会えない友人、昔とてもお世話になった方など、極限られた人(トータル10人くらい?)向けへの生存報告です。特に、海外に行くときなどは、必ず更新していこうと思います。(私は公式のSNSなどでは、自分が何処にいるかはなるべくボカしたいということなどもあり…)  このブログが長期間更新されないような時は。。。察していただけると幸いです。合掌。

×「プライド」と◎「誇り」

現在地:つくば

 

去年末のダンス公演で人生に一区切りつき、今年からの残りの人生について考えています。それは悩みというよりは、具体的に、戦略的に。どう戦ってくか。

 

この機会に、表題のテーマ、「プライド」と「誇り」について。一度書いておこうと思います。

若い頃から、「プライド」という言葉が嫌いでした。よくプライドは「自尊心」と訳されるけど、私から見てプライドの高い人とか、自ら「私はプライドが高い」と宣言するような人は、自尊心というよりは、「虚栄心」が強いように思えてならなかったから。

 

私にはプライドはありません。無くていい。

ただ、世の中、人を見下すバカが多いのも事実で、そいつらを牽制するために、ある程度プライドが高いような言動をする必要があるだろうこともわかる。

が、

その必要性は、主に学生の頃とか未熟な状態の頃の話で、成熟した大人と社会になればなるほど、本人の選択次第で回避できる問題で、実際、私は回避してきた。

 

人生で本当に大事なのは、プライドではなく誇りだと、私は思う。

一例だけ、私の好きな話を挙げておく。

私と同い歳の登山家で、野口健という人がいるが、彼がネパールの山にトライした時、シェルパを数名雇っていたという。

で、山の中腹のキャンプできそうな場所を、先にシェルパに行かせて場所取りしてもらって、後から野口氏が合流しようとしたところ、シェルパはその場所から離れたところで待っていて、野口氏が「どうしたんだ」と聞いたところ、シェルパが「場所をとっていたんだが、後から来た白人のパーティに追い出された」と答えた。

野口氏がそのパーティのところに行って抗議すると、パーティの白人は「登山はスポーツで、言わばゴルフと同じだ。シェルパはキャディのようなもので、選手ではない。我々は選手が先に来たんだから、選手がいなかった君たちのほうが譲るべきだ」と答えた。

野口氏は「ふざけるな、ゴルフとは根本的に違う、登山者もシェルパも同じパーティの一員だ」と主張し、大柄な白人と口論になり、ヒートアップし、白人の手が野口氏の肩にかかった。

それまで黙って様子を見ていた、野口氏の雇っていたシェルパたちが、その瞬間、一斉に腰の短刀を抜いた。

野口氏はそれを見て驚き、白人よりもシェルパたちをなだめるために、結局場所は白人に譲る形になったが、後日、「あれは喧嘩を止めるために一芝居打ったのか?」とシェルパに問うと、「いや本気で刺すつもりだった。なんだかんだ言って、あいつらは俺たちを人間扱いしてないんだ。お前は人間扱いしてくれている。そのお前が暴力を振るわれるのを黙ってみているわけにはいかん」とシェルパは言ったそうで、私はこれを読んで感銘を受けた。

これぞ誇りだ。

誇りは、プライドとは違う。虚栄心でないのはもちろんだが、自尊心とも違う。

 

プライドは個人の中にあるが、誇りは人との絆の中にある。

私は、誇りを持って生きたい。プライドは要らない。

 

自分、ではなく、協力者、なのかも。それ故の誇り!

現在地:つくば

 

いよいよ2022年も終わり、大晦日です。

自分はこの12月は、17日と29日に舞台公演本番があり、かなり大変でした。

金銭的には、文化庁からの助成金で実現できたので、ありがたかったですが、それでもやっぱり大変だった。

っていうか、文化庁助成がないとやっぱムリ、かも、っと痛感もしました。ちなみに、助成金のための実績報告(貰った分、実際にこれだけ使いましたよ、っと領収証とか含め経費の資料を文化庁に送る)が、1月10日が締め切りで、その作業で正月は潰れそう。

その文化庁助成金も、コロナ対策の一時的なもので、続かないかもしれない。

そして、文化庁助成以上に、ないとムリなものが、やっぱりやっぱり、ザ・協力者、であることも、痛感しました。

自分の周りには、3人くらい、超協力者がいて、その誰か一人欠けても、公演は成り立たなかったかも、と、本気で思う。これは「感謝の気持ちを忘れずに」とかのキレイごとではなく、自分がどんなにがんばれても、協力者に倒れられたり、先立たれたり(縁起でもないですが)したら、もうそこで自分の活動もアウトになるということ。

自分が既に49歳、高校の同窓生で、既に亡くなられたりしている人の情報、10人くらいは聞く。たぶん情報入らないだけでもっといる。もうそういう年齢で、自分も、自分の超協力者も、いつそのうちの一人に入ってもおかしくはない。

若い頃は、自分自分自分、で物事を考えていたけど、歳を取るほど、そして活動が発展するほど、もはや、自分だけの力ではどうしようもないことが増えてくる、それはイコール、いわば神頼みなのも仕方ないということ。

ビジネス的には、そういう神頼みでなく、いかに活動を安定させるか、というのも当然考えておくべきことなのだろうが、同時にそこまで対策をとれている企業も、中小企業ではごく少ないだろうとも思う。
みんなそんな状態で、綱渡りをしていかざるを得ないのも、仕方ないのだろう。

結論はないが、自分が70歳まで戦う気マンマンでも、なかなか、戦いきれるかは、自分以外の要素にかかっていると思う。

その現実と向き合って、どう戦い続けていけるか。そして、協力者と、協力者に恵まれた自分への誇り。

机上の空論でなく、実際に事業を実現したうえで、痛感した一年でした。

ほんとにサラバ、郷里よ!

現在地:高知県

 

一時帰省してました。

今、竜馬空港。

これから飛行機に乗って、関東に戻ります。

 

金銭関係で、最後の後片付けに来た感じで、もう、父の臨終まで、こっちに来ることはないかもしれない。(ま、親しい友人がいるから、案外来るかもですが。)

 

父がくれていた小遣いを使わずに貯めといた口座からも、すべて引き出しました。

ン十万円、いつか、父のために使って返してあげたかった。

 

今回、父を訪ねたいと思い、施設に電話したが、絶縁した母が施設に「息子を父に会わせないで」と言っているとのことなので、辞退しました。

まぁ、仕方ない。それならそれでいい。死に目には会いたいが、とっくに親離れは完了している。ただ、人間として親孝行できるならすべきと思うだけ。ちょっとでも難があるなら会わなくてもいい。正月は年賀状と、誕生日に甘いものは送ろう。

 

元母と最後の電話通話…と思っていましたが、二度電話して出なかったので、これで終わり。

復縁のチャンスを一度は与えるべきと思えたから。そういうことを、人間としてやるべきと思えたから。

悔いはない。これで完全に縁が切れた。

 

これですべてに清算がついた感じ。

サラバ!郷里への想いよ。約半世紀、相当に思い入れがあったつもりだったが、案外、儚かった。

 

田舎暮らし自体は良かった。残りの人生、他で第二の、ついの故郷を探します。

30歳くらいが一番つらかった。。。何故かと言えば、、、

現在地:つくば
12月17日、文化庁から助成金をいただける私のダンス自主公演に向けての準備で動いてます。

20代前半、あまりにもストンと、ダンスの道でやっていこうと決めた。何故かはわからない。それが正しかったかどうかはあまり意味がないと思っている。

もう、49歳。いろいろ振り返って一番辛かったのは、30歳くらいだったな、と思う。何故か。一言で言える。

孤独だったから。仲間がいなかったから。

それに尽きると思う。だから、何をどうしていいかわからなかった。その後、徐々に仲間ができていった。
本当に、素晴らしい仲間たちが。一生の友になりそうな人たちが、何人も。
彼らと知り合えたのは完全に偶然で、自分の道のための仲間を集めようとしたわけではない。
幸運だった。彼らにも世の中にも感謝している。

昨日、そんな仲間の一人とリハーサル後、もう一人とも会って打ち合わせをした。

俺なんぞにはもったいないくらいいい仲間だと、本当に感じる。彼らのおかげでこれからも進んでいける。

創造的な活動を、辞めていく人たち、一番の原因は、やはり、仲間不足なんじゃないだろうか。

でもそれは、如何ともし難いこと。誰も悪くなくても、本人のせい。

30歳の頃の自分、時間を巻き戻せればもっと楽に生きられたかもしれないが、今みたいな仲間を得ることはやっぱり無理だったと思う。
今となってはただただ感謝しながら、彼らの力を借りながら、残りの人生を全うするしかない。

心の傷も癒えました。

現在地:鳥取県某市

 

もうすぐ、つくばに戻ります。

四国の実家で母と絶縁し、傷ついた心も、鳥取の自然、主に海のおかげでだいぶ癒えた感じです。

鳥取は海側が長ーく続く砂浜が多くて開放感があり、良かったです。マジで将来移住したいかも。

 

多くは語りません。

日本海から欧米を睨む

現在地:鳥取県某市

 

今住んでるところは浜辺が近いので、日々、浜辺で瞑想とダンス修行をしています。

で、

先日、この市に拠点を構える、某、(あえて名は伏せますが)オタク業界なら名を知らぬもののいない伝説的な人と、会ってお酒を飲む機会がありました。

(っというか、その人と会うためにここに来たようなものなのですが)

で、

その方から、たくさんのオタクビジネス話を伺ったのですが、

「地方創生を本気で目指すなら、やっぱりインバウンドしかない、それもターゲットは中国や韓国ではなく、やはり欧米でないと。なぜなら、近くて『またいつでも来れる』と思うと人は財布の口が堅くなる。『わざわざ遠くから来て、せっかくなんだから』っという気になると、財布の口が緩くなる」

↑その方の持論。私も、死ぬまでには、地方創生に関わりたく、興味深いお話でした。

 

いつも行っている浜辺は日本海に面しているわけなのですが、睨むべきは太平洋の向こうのアメリカ、さらに大西洋の向こうのヨーロッパ。

ヨーロッパにはもう10回近く行っていますが、もっぱらダンス上演や日本文化の紹介が主で、向こうからこちらに「来させる」にはどうすればいいのか、自分が生きているうちにそういう少しでもそういう成果を出せるのかどうか。

 

結論はありませんが、残りの人生、海のように大らかな気構えで大局を眺めつつ、かつしっかり、成果を出せるように睨みながら、生ききりたいものです。

昔、姉にも引き合わせた舞台監督さんと、ついに!

現在地:鳥取県某所

鳥取の田舎で落ち着いて暮らしてます。せっかく海辺にいるので、日々海岸で瞑想&ダンス修行してます。

以下は、鳥取に来る前、東京でのことですが、

12月の、文化庁から助成金が下りる、私の自主公演のため、昨日、某舞台監督さんに会いました。もう60代になられた、女性の方。昔、私が26歳くらいの頃に、関わっていたダンスグループの公演でお仕事依頼してから、実に22年ぶりの再会。その22年前の時は、ダンスグループにお金がなく、なんとノーギャラで仕事を受けてもらっていたのでした!
「生き延びろよ、そして私にギャラを払えるようになってくれ」と激励してくれた彼女。やっと、やっと、きちんと正規のギャラを払ってお仕事依頼ができます。
この程度で、恩を返せるとは思ってないけれど、兎に角、やっとここまで来れました。

12月公演の先どうなるかまだわかりません。もう一回自主公演できるか、それならまた彼女に依頼したいが、資金貯めてから、また海外活動メインになるかも。
もし12月公演が彼女との最後になっても悔いのないよう、充実したものにしたい。